哲学カフェ:価値について

3回目になります哲学カフェの議題は「価値について」としました。前回は「愛について」でした。愛には様々な形がありますが、その対象に愛を感じるかどうかは価値を感じるかという要素があるというお話がありましたので、今回は「価値」を選びました。

好きなものに価値を感じるということはある。コーヒー派?紅茶派?興味の持てるものと持てないものがあるそれはなぜ?価値が違う人とどう接すればいいか。なぜ人は価値がわかれてしまうのだろうか。そうした価値が違う人同士、好きなものが違う人でも仲良くしていかなければならない。そうしたことは日常的に可能な場面はある。共通点を探したり、自分の知らないことを知ることに喜びを見出したり、自分の好きなものを相手にも好きになってもらったりもできるかもしれない。そうした出会いは、映画のようにすばらしい出会いになるかもしれない。人は違って当たり前なのだという認識を共有したい。その中で共感する部分を探す。ただし、これがうまくいかない時も多い。また、同じ嗜好の者同士でグループをつくり、なかなか異質な人を入れないということも多い。しかしながら、価値観は変わるということも考えられる。いつかはそのグループを出て、別の人と親しくするかもしれない。

よく企業が理念を掲げる。また、その会社の価値というものを決める。そうした理念や価値に共感する会社で働きたいと思う。それが嘘、お題目であることもあるので注意を要するが。会社は利益を上げなければならない。そうした現実に流され、価値を忘れてしまうことがある。パタゴニアという会社は利益よりも、地球環境を守るということを価値とした。そのことで会社をブランディングして、結果的に利益を伸ばしている。

モノには価値がある。お金は交換する価値であったり、貴金属は古くから価値あるものとされていたり、美術品の価値は作者が有名かどうかで極端に変わったりもする。(バンクシーの作品にそれを逆手の取ったものがあった。)商品に価値を感じるとき、デザインや機能も重視したりする。有名かどうかはブランドになったりする。価格が高くなる。モノの本当の価値がわからなくなる。長い間変わらないモノの価値がある。(法隆寺の建物など)食べ物は美味しいかどうかで価値が決まるが、腐ってしまえば価値がなくなる。しかし、冷蔵庫で保存できれば価値が保たれる。冷蔵庫の価値がプラスされている。その組み合わせが価値をつくることもある。

これらモノの価値と違い、より観念的な価値がある。人は価値観を持つ。なぜ人は価値観を隠すのだろうか。最初から言えばよりわかり会えるのでは?死ぬ日が決まった時、価値観が変わることがある。命に対して、自分にとっての本当の価値は何か考え直すことになる。それは条件が変わったということではないか。価値には条件が必要だ。価値には絶対的なものがあるだろうか。動物や、植物にとっての価値あるだろうか。それは自然という価値だろう。地球環境も太陽や月がなければなりたたない。宇宙にとっての価値とは何だろうか。それでもある条件のなかで価値について思考するしかないだろう。人には信念というものがあり得る。それはその人にとっての命より大切な価値であったりする。自分に価値はあると思いますか?自分の価値は他人が決めるもの?それとも自分自身で決めるもの?

価値(価値観)は存在意義のようなものでは。わたしは人の価値は無条件にあると考えています。自然環境において存在する人が、他人によって価値を決めれれるということは根本的にはありえないと思っています。それを人権と言ったりします。

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