水についての考察

昭和の最後の生き残りであるわたしの世代は、都会育ちでのかつての自然を知っています。近所には溜池があり、様々生き物が蠢いていました。ウシガエルが鳴いていました。カエルの楽園でした。神奈川県でも山側に行けば丹沢があり、清らかな清流が流れています。わたしはこういう上流の川が大好きでした。その脇に佇む安い宿に泊まるのが好きでした。

このちっぽけな自然の喜びも、清らかな水も、高速道路が出来たりして失われました。ちっぽけだからこそたわいもなく壊されたのでしょう。そこにあった水はどこに消えたのでしょうか。しかし、水はなくなりはしません。地球上に遍在し続けます。

わたしたちは水がなければ生きていかれません。わたしたちの身体の60%は水です。細胞一つ一つに水を蓄えています。わたしたちの身体の水も、海や沼、川、雨水とつながっています。古代ギリシャの哲学者タレスは万物の根源は水であると言いました。これはあながち間違いではありません。万物を生命とするなら、水がなければ存在できません。あまりにも多量に当たり前に存在する水を、人間は粗雑に扱っています。かつて水俣病など多くの公害がありました。水を汚すことで、人間は大きなしっぺ返しを受けました。安倍首相は東京オリンピック誘致の際に、福島の原発はアンダーコントロールしているなどと嘘をつきましたが、福島原発事故の後、デブリにふれた汚染水が海に放出されています。水の汚染というと、最近はPFASの問題が取り沙汰されています。米軍基地からPFAS(有機フッ素化合物)が流れ出しました。その米軍内での調査を日本はすることができません。岡山県吉備中央町では使用済み活性炭よりPFASが流れ水道水に混入しました。PFASは発がん性など人に様々な弊害があります。

わたしたちは日本の清らかな水を守らなければなりません。日本は多くの土地が山岳であり、傾斜が多く、水は山から勢いよく流れていきます。そのため、ミネラル分が少なく軟水であり、柔らかい飲水となっています。そうした水はいたるところで名水として古くから生活や文化にかかせないものとされ、育まれてきました。かつて、わたしが子供の頃はミネラルウォーターというものは存在しませんでした。水を買うという認識がなかったのです。水道をひねれば、多くの地域でおいしい水が出たのでしょう。もっともわたしの住んでいた神奈川県横須賀市ではとくにおいしくはなかったですが。とにかく、日本人にとって水はあたりまえにある存在であり、買うようなものではなかったのです。今ではわたしも常に浄水器の水かミネラルウォーターを持ち歩くようになりました。

日本人の食といえば米です。田んぼには水を張ります。これは縄文時代後期から行われてきました。水を張ることにより、ほどよいミネラルを川の水から得ることができます。また、水が溜まっていることで、土が酸欠状態になり、有害な微生物の発生を制限し、雑草も生えなくなります。日本人はまさに水とともに生活してきました。とはいえ、人間はみなそのようにしか生きられません。ただ、日本には世界でもめずらしいほど水に恵まれていました。現在も水道水がそのまま飲める国は、世界で日本、オーストラリア、南アフリカ共和国、アラブ首長国連邦、スウェーデン、フィンランドなど15カ国程度で、アジアでは日本だけです。そのような日本の水を汚染させることは絶対に許してはなりません。

日本は地下プレートが重なり合った位置にあり、火山が多いです。マグマには水が含まれています。水があることが火山の条件になっているのです。その火山は巨大な水瓶となり、水を蓄えます。それが地下水となって流れ、湧水となったり、温泉として湧き出ます。

温泉に入った後に、海や川の魚とともに、味噌や醤油で煮た汁物と米の飯を食べる。すべて水の恵みです。そして、日本酒を飲みます。日本酒の味の決め手も水ということです。多くは豊かで上質な伏流水のある地域でお酒がつくられます。もちろん原料の酒米も、豊富なその地域の水で栽培されます。

どこまでも水はわたしたちにとってなくてはならないものです。

水は見た目も美しいです。モネの睡蓮の水面や北斎の神奈川沖も有名ですが、わたしはソ連の映画監督タルコフスキーの映画で映された根源的な水の美しさを思います。映画の中で、「水は世界でもっとも美しい物質だ」というセリフがありました。

老子に「上善は水の如し」とあります。本当に素晴らしい生き方とは水のようなものである。水は万物に利を与えているものの自らを主張することなく、様々な器によって自らの形を変えて争わない。そして皆が嫌がる下の方に身を置く。といった意味が書かれています。また、水は柔らかく、一滴の雫は儚く弱く、霧にもなり、空気のように軽くもなりますが、一度、洪水となれば、あらゆるものを飲み込んで、とてつもない力となります。つまり、一見、柔らかく弱いものこそ、力を発揮するのです。また、わたしたち自身が波のようなものだとも例えられます。人生は短く、様々な形を顕しますが、また、生命の海に帰っていきます。

参考動画

青森五戸の十和田湖の外輪山である戸来岳(へらいだけ)を源流とする水でつくられた日本酒です。